2年目を迎えて・・・思いつくままに書いてみた。
2013年 03月 11日
3.11の大震災から2年。
被災地の復興には地域差があるようですし、まだまだ風評被害に苦しんでいる人たちも多いのが現実。
そして何といっても心配が絶えないのが原発の問題です。
これからの原発による影響はまだ誰にも分からないのです。。。
今日は思いつくままに書いてみようと思います。
お付き合いいただける方は、私のブログにお付き合いください。
2年前のあの時、私はとても力強い人間であったように思う。
できるだけ冷静に普通に変わらずに生活することに全神経を集中させていた。
確かにあの時は東京も被災地のような感覚でいっぱいになっていて、私は妻として家をしっかり守ること、そして仕事もできる限り普通にこなすこと、の2つを心に誓った。
ほとんどの仕事はキャンセルになってしまったけれど、唯一自分が主宰している教室だけは集まれる人だけで続けることにした。
近くのスーパーは長蛇の列、商品も品薄になっているので、私は電車に乗って渋谷まで材料の買い出しに出かけた。
ほとんどの生徒さんが集まってくれたことに、どれだけ癒されたことでしょう。
電力が足りない!計画停電・・・みんなが暖房や照明をつけずに最低限の電力生活。
我が家も暗い中で床暖だけで過ごしました。
我が家の床暖はガスです。このことがどんなに有難かったか・・・
(今考えれば、本当に電力が足りかかったのかな~?)
たくさん着込んでマフラーぐるぐる巻きにしながら、家のことは私が守らなきゃ!
夫は仕事柄、この時期が最も多忙な時期で、震災翌日の土日も仕事に出かけていたから。
原発のことも心配だったけれど、あの時は余震の心配も大きかった。
何か起きた時の備えにと・・・塩むすびを必死ににぎったり、沢山のお鍋に水を溜めたり・・・
やっぱり私は力強かったな~
東京に住んでいる私は幸いにも、今は普通の生活ができています。
震災の出来事は過去のことになりつつある。。。
忘れてはならないのだけど、忘れてしまうことも多くなってしまった。。。
今改めて感じることは・・・
立派にさまざまな活動をしている人もいる中で、私はとても無力であるということ。
後ろめたい思いが私の心のどこかに潜んでいるような気がしますが、年に1回でもあの日のことを思い返すことが大切なようにも感じます。
そして2年前に普通にお教室を開講したこと(=普通の生活を続けること)は、今となっては正しい判断だったと思っています。
賛否両論あったと思いますし、言葉にし難いほどのヒドイ中傷メールも届きました。
様々なことが自粛されて、そのことを世の中が美しいことのように感じていて・・・でも自粛によって職を失った人もたくさんいたことはあまりクローズアップされていませんよね。
事実私の友人の中にも仕事を続けられなくなった人がいます。
どんなことがあっても周りのことや先のことまで冷静に判断していく力を備えた人間になりたいです。
そのためには色々なことに備えなければなりません。
全然備えがなっていないことも反省する日となりました。
2013.03.11今日は思いついたまま書いたので、支離滅裂ぐちゃぐちゃになってしまいましたが、2年目の今はこんな気持ちであることをブログに残しておきます。
被災地の復興には地域差があるようですし、まだまだ風評被害に苦しんでいる人たちも多いのが現実。
そして何といっても心配が絶えないのが原発の問題です。
これからの原発による影響はまだ誰にも分からないのです。。。
今日は思いつくままに書いてみようと思います。
お付き合いいただける方は、私のブログにお付き合いください。
2年前のあの時、私はとても力強い人間であったように思う。
できるだけ冷静に普通に変わらずに生活することに全神経を集中させていた。
確かにあの時は東京も被災地のような感覚でいっぱいになっていて、私は妻として家をしっかり守ること、そして仕事もできる限り普通にこなすこと、の2つを心に誓った。
ほとんどの仕事はキャンセルになってしまったけれど、唯一自分が主宰している教室だけは集まれる人だけで続けることにした。
近くのスーパーは長蛇の列、商品も品薄になっているので、私は電車に乗って渋谷まで材料の買い出しに出かけた。
ほとんどの生徒さんが集まってくれたことに、どれだけ癒されたことでしょう。
電力が足りない!計画停電・・・みんなが暖房や照明をつけずに最低限の電力生活。
我が家も暗い中で床暖だけで過ごしました。
我が家の床暖はガスです。このことがどんなに有難かったか・・・
(今考えれば、本当に電力が足りかかったのかな~?)
たくさん着込んでマフラーぐるぐる巻きにしながら、家のことは私が守らなきゃ!
夫は仕事柄、この時期が最も多忙な時期で、震災翌日の土日も仕事に出かけていたから。
原発のことも心配だったけれど、あの時は余震の心配も大きかった。
何か起きた時の備えにと・・・塩むすびを必死ににぎったり、沢山のお鍋に水を溜めたり・・・
やっぱり私は力強かったな~
東京に住んでいる私は幸いにも、今は普通の生活ができています。
震災の出来事は過去のことになりつつある。。。
忘れてはならないのだけど、忘れてしまうことも多くなってしまった。。。
今改めて感じることは・・・
立派にさまざまな活動をしている人もいる中で、私はとても無力であるということ。
後ろめたい思いが私の心のどこかに潜んでいるような気がしますが、年に1回でもあの日のことを思い返すことが大切なようにも感じます。
そして2年前に普通にお教室を開講したこと(=普通の生活を続けること)は、今となっては正しい判断だったと思っています。
賛否両論あったと思いますし、言葉にし難いほどのヒドイ中傷メールも届きました。
様々なことが自粛されて、そのことを世の中が美しいことのように感じていて・・・でも自粛によって職を失った人もたくさんいたことはあまりクローズアップされていませんよね。
事実私の友人の中にも仕事を続けられなくなった人がいます。
どんなことがあっても周りのことや先のことまで冷静に判断していく力を備えた人間になりたいです。
そのためには色々なことに備えなければなりません。
全然備えがなっていないことも反省する日となりました。
2013.03.11今日は思いついたまま書いたので、支離滅裂ぐちゃぐちゃになってしまいましたが、2年目の今はこんな気持ちであることをブログに残しておきます。
by kayoprimo
| 2013-03-11 16:24
| 私からのメッセージ